2008.11.30 - 09:25

虎御前のお墓の説明文。
他の場所に比べて説明の字が薄くなっているのが気になりました。
木が多いので雨や風がそれほど当たらなさそうなのに・・・。
2008.11.29 - 20:35
五輪塔と称される虎御前のお墓は、林の中にひっそりと建っています。
どうして山あいの、しかもこんな林の中にお墓を建てたんでしょう???
2008.11.28 - 10:32

虎御前のお墓は、春日山城の背後の上越市宮野尾集落にあります。
林泉寺から春日山城に向う道の途中に、「虎御前のお墓 1500m」
という表示が右手側に見えます。
宮尾野には以前何軒か家があった形跡があるのですが、現在は
民家が1軒だけのようです。
きのうの画像の表示の左側にその民家がありました。
そこを右にまがると鬱蒼とした林。昼間でも薄暗いです。
道の右側は画像のような見事な竹林が続いていました。
2008.11.27 - 15:31

謙信を産んだ虎御前。
一体どんな人だったんでしょう?
どんな容姿でどういう人柄でどんな風に謙信に接していたのでしょう?
ある意味ですごく想像力を掻き立てられる人物です。
虎御前のお墓を訪ねてみました。
2008.11.26 - 15:03

タイミングよく「Gackt in 謙信公祭」のお知らせが掲載されていて
うれしかったです。
物産品の販売などもあるそうで、たくさんの人に来ていただきたい
と思います!
画像は新潟名物笹団子。
戦国時代からあるそうです。
「ササには殺菌効果があり、北越風土記によれば戦国時代に携行
保存食として生まれたとされる。以前は端午の節句の供物とされた。
上杉謙信が発明したという俗説もある。」
(ウィキペディアフリー百科事典より)
「天地人」にも兼続の妻のお船が秀吉夫人の北政所ねねと笹団子の
話をした、と書かれているんですよ。
2008.11.25 - 13:33
今年の7月6日の上越タイムスのコラムに、去年に引き続いての
Gacktさんの謙信公祭出演決定を喜ぶ声が掲載されました。
その中に
「春日山城下の空気が、彼の登場で変わったと実感した者の
ひとりとしては、この決定を最良のものとして歓迎したい」
という文がありました。
本当にGacktさんのおかげで、上越の雰囲気が変わったと
思います。街が活性化され、住む人々が生き生きと見える・・・。
そう感じているのは私だけではないはず。
それに、たくさんの方々が全国から謙信公祭に参加してくれ
たり、観に来てくれたおかげです。
本当にありがとうございます。
それまでの謙信公祭はどちらかというと地味な祭だと私は
感じていました。
春日山に住む人たちが楽しむお祭りだと。
駐車場もないし、行くまでもないか・・・、と私は一度も観に
行ったことがなかったのです。
(上越市民でもこういう人って結構いるのです)
私たち市民もGacktさんを見習ってこの祭をこれからも大切に
していきたいと思います。
謙信公祭に来れなかった方も、ぜひ機会を作って上越を訪れて
みてください。
謙信がこの土地を守りたかった理由や
Gacktさんが上越を大好きになってくれた理由が
きっと見つかると思います。
2008.11.24 - 21:13
無事に時間までに、元の場所に戻ることができました。
その後は・・・、あの興奮と感動をうまく表現できません。
本物のGacktさんをこの目で見たい!という私の夢のひとつが
かなった瞬間・・・。
巧みにマレーボちゃんを操るGackt謙信に感極まり、
「キャーーーーーッ!!」
と叫ぶと、となりにいた見知らぬ男性がおののき少し後ずさり
したのが横目に見えました。
とにかく、Gackt謙信を間近で見れて、素敵なDearsとも知り
合えて楽しい時間を過ごせた・・・
私にとってこの日が一生の思い出になったことは間違いありません。
2008.11.23 - 15:26
きのうの続きなのですが、地元の友達も到着しみんなでわいわい
話していると、その友達のところにメールが届きました。
「Gacktさんが埋蔵文化財センターにいるらしい」
というのです。
3時半頃だったと思います。
Gacktさんの登場まで1時間だけど、とにかく行ってみようということに。
時間があまりなかったので、私たちは走りました!
総勢6名走る!走る!
傍から見たら異様な光景だったかもしれません。
息を切らしながら埋文センターに到着。当然、展示会場内にはGackt
さんの姿はなし。
どうやら埋文センターが出陣行列前の控え所になっていたらしく、裏口
からGacktさんが出てくるところのようでした。
しばらく待つとどこからか聞きつけた人たちがたくさん集まってきて
いました。そして、裏口から出てきて車に乗り込むGackt謙信のななめ
後ろ姿を一瞬見ることができました。
時計を見るともうすでに4時すぎ・・・!
またまたひたすら走りました。
「こういう場面てめったに見られないんだよね〜」
と一瞬でも見れたGacktさんに満足しつつ。
今考えると、よくあんなに走れたなぁと思います。
山麓線の私たちが待っていた場所から埋文センターまで結構距離
があるのです。
私にもまだこんなに体力があったんだなぁ、と変に感心したりして。
それとも、こういう時にしか出ないパワーなのかもしれませんが・・・。
2008.11.22 - 14:01
私のまわりにはGacktさんのことを結構好きという人はいるのですが、
Dearsはひとりもいませんでした。
いろいろと喜びを分かち合いたいのにそれができず、ちょっぴりさみ
しい思いをしていました。
去年の謙信公祭の時、一緒に出陣行列を観ようと約束していた地元
の友達が少し遅くなるというので、先に山麓線に行って一人で場所
取りをしていた時のこと。
後ろから声をかけられました。
振り返ると数名の女性。
関東のほうから観に来た方たちでした。話しを聞くと彼女たちもDears
でした。
その場所はGackt謙信が出発するスタート地点から少し離れた場所で、
最初のパフォーマンスのあたり。
一人で待っていた私はすごく心細かったので、声をかけてもらって本当
にうれしかったのです。しかも初めてのDearsとの出会い!!
とても気さくで楽しくてパワーがあって生き生きしている魅力的な人たち
という印象を受けました。
その時確か11時頃だったと思います。私はファン歴は長いのですが、
意外とGacktさんについて知らないことが多く、待つ間いろんなこと
を教えてもらったりしてあっという間に時間が過ぎました。
2008.11.21 - 10:07

上越市浦川原区にある国指定天然記念物。
ほくほく線虫川大杉駅近くの白山神社の御神木です。
樹齢千数百年だそうです。
なんとも言えない「気」が境内に満ちていました。
力強く穏やかで神秘的な雰囲気・・・。
直峰城跡の駐車場から車で約8分ほどのところにあります。
2008.11.20 - 13:58

直峰城跡のある上越市安塚区。
昔ながらの風景が残る町です。
たぶん聞いたことがない人がほとんどではないかな、と思います。
私も祖母の家が十日町市松代にあるので、その行き帰りに通り過ぎる
だけで、立ち寄ることはほとんどありません。
安塚には、キューピットバレイというスキー場があって、そこに
数回行ったことがあります。雪だるま温泉という温泉施設が併設されて
いて楽しめます。
シーズンオフの時はボブスレーがあったり、夏休み限定で動物園が
開催されていたりして家族連れで賑わっているようです。
2008.11.19 - 10:40

歴代の城主が祈願していた観音堂跡です。
夜中から雪下ろしのかみなり(雪が降り始める頃に鳴るかみなり)が
ゴロゴロと鳴っていました。
もうすぐ上越の街も白くなりそうです。
2008.11.18 - 10:01

食用・薬用・洗剤などに利用されていたそうです。
2008.11.17 - 09:48

本丸跡から少し降った所にある樹齢800年と言われている大ケヤキ。
歴史の流れを感じさせます。
2008.11.16 - 09:31

まっすぐ伸びる性質を利用して弓の矢に使用されていたそうです。
2008.11.15 - 11:28

直峰城の本丸跡から見た春日山方面の景色です。
ちゃんと表示がされてあって親切だなぁと思いました。
(右側に見えるのはベンチではなく、矢印のようなものです。)
2008.11.14 - 10:01

上越市安塚区にある直峰城跡に行ってきました。
直峰城は南北朝時代(1335〜1392)、南朝方の雄将風間信濃守
信昭公(かざましなののかみのぶあきこう)の居城でした。
謙信公の時代には、春日山城から関東へ抜ける要衝であり、謙信公
は関東遠征の際、1泊目の宿泊地にしたとも伝えられています。
謙信公がこの世を去ると、「御館の乱」が起こり、春日山城・直峰城
を押さえた景勝が勝利しました。景勝は、大河ドラマ「天地人」の主人
公直江兼続の実父樋口惣右衛門兼豊(ひぐちそうえもんかねとよ)を
天正12年(1584)御館の乱の功績により、直峰城主としました。
慶長3年(1598)、豊臣秀吉の命で、上杉家は会津移封、その移封
に従い樋口惣右衛門兼豊も同行しました。息子の兼続は米沢を
治めることになり、米沢には最近まで「直峰町」と呼ばれる町名が
ありました。
直峰城は徳川時代になり、廃城となりました。
(直峰城周辺マップより)
画像は、本丸跡です。
左側にあるのが風間信濃守信昭公の顕彰碑です。
2008.11.13 - 13:57

高田公園の外堀の周りの遊歩道。
紅葉がきれいです。
上越は晩秋の美しさに輝いています!
2008.11.12 - 19:47

きのうの上越の夕焼けです。
幻想的な空でした。
2008.11.11 - 10:19

この2年間、初めて知ったことや初めて訪れた場所がどんなに
多かったことか・・・。
毎日のように発見や驚き、感動の連続でした。
勘の鋭い方はもうお察しだと思うのですが、私は戦国時代は
おろか上杉謙信のことも実はよく知りませんでした。
というか全く興味がありませんでした。
子供の頃から日本史は大の苦手。戦国時代は特に
「荒々しい時代でなんかイヤ」
ぐらいにしか思っていませんでした。
そんな私がこんなブログを書いているのだから、人って変わるもの
です。
それに、Gacktさんの力は本当に偉大です。
Gacktさんの謙信役が決まって、初めて謙信に興味を持ち、図書館
で本(読みやすいようにジュニア向けの本でした)
を借りて謙信のことを知ったのでした。
今思うと本当に恥ずかしいです・・・。
Gacktさんが、謙信や郷土の歴史を知るきっかけだったわけです。
Gacktさんのおかげで、上越のことが前よりももっとに好きになり
ました。
感謝感謝です。
今朝の妙高山。すごくきれいだったので。
2008.11.10 - 10:24
きのう、出かけた先で七つ葉クローバーを見つけました。
めずらしい・・・というかこんなクローバーってあるんでしょうか!?
ラッキーセブン!なにかいいことが起こりそうです☆
2008.11.09 - 18:40

部屋を整理していたら去年のうちわが出てきました。
なつかしいです。
2008.11.08 - 09:37

クリスマスの雰囲気が大好きなので、もう出しちゃいました。
去年のクリスマス頃のGacktさんの日記に、
「クリスマスは仕事の後男同士で焼肉。去年もそんな感じだった。」
というような事が書いてありました。
Gacktさんとクリスマスを過ごしたいという人は五万といるっていうのに・・・。
GacktさんがDearsに向けてぐちっている?????
不思議な気持ちでGacktさんの日記を読みました。
活躍が華やかな人ほど私生活は地味なのかも・・・なんて思ってしまいました。
成功は地道な努力の積み重ねなんですね。きっと。
2008.11.07 - 15:35
この美しさは衝撃的でした!!
「天翔る龍の如く」Dears限定盤の特典より。
2008.11.06 - 21:59
「これなら女性説があったのもうなずける、と思われるような美しい
謙信を目指したい。」
「舌戦!川中島」でGacktさんが語っていました。
謙信女性説が唱えられたのは、謙信が生涯妻を持たなかったのが
その理由ですが、そんな説が立つくらいだから、謙信は本当に女性
のように美しい人だったのかもしれません。
Gacktさんの謙信、まさにGacktさんが目指した通りでしたね。
美しいだけでなく、神秘的な雰囲気も、声も、立ち居振る舞いも全て
完璧だったと思います。
Gacktさんの才能って計り知れない!!
2008.11.05 - 09:33
今朝の上越タイムスに掲載されました。
春日山城跡保存整備促進協議会の設立総会が4日開かれた。
(中略)
会長は当面は城跡の公有地化と発掘調査を目標とし、ゆくゆくは
謙信が居城とした中世の山城の姿を再現し、地域発展の核と市民
から親しまれる場として後世に継承していきたいという。
『(2014年の)新幹線開業までに何とか形にしたい』と今後の展望
を話した。
まずは第一歩というところですが、実現が待ち遠しいです!!
Gacktさんや皆様にもぜひ見に来てもらいたいです!!
2008.11.04 - 10:57

八幡原(はちまんぱら)史跡公園内の信玄・謙信一騎打ち像。
去年、史跡公園内にある長野市立博物館で「体感!川中島の
戦い2007」という特別企画展をやっていました。
その中で、市川亀治郎さんとGacktさんが信玄、謙信について熱く
語る様子をモニーター映像で紹介するという「舌戦!川中島」という
コーナーがあると知りました。
どうしてもこれを観たいがために、川中島へ行ったのでした。
2008.11.03 - 21:01

高田公園の朱色の橋。
この橋の上から見る妙高山が一番好きかもしれません。
(画像には写ってませんが・・・)
春は桜と妙高山。
夏は蓮と妙高山。
紅葉も雪景色も良いです。
いつ見ても「夢のようにきれいだなぁ」と思います。
2008.11.02 - 13:59

妙高市の関川の中流付近。
謙信公大橋の架かっている川が関川です。
きれいな景色だったのでパチリ。
2008.11.01 - 20:32
高田公園にある極楽橋です。
直江兼続や伊達政宗も高田城の築城に携わっていたんですね!
「天地人」を読んで初めて知りました。