御館の乱と居多神社

2009.03.19 - 09:27

 毎日ではないのですが、上越タイムスに花ケ前さんの
「直江兼継講座」が連載されています。
 3月15日の講座、「御館の乱と居多神社」より。

 『天正6年(1578)6月11日、両軍は居多神社の鎮座する
居多ケ浜で激突した。その際、居多神社と宮司花ケ前家は
景虎方に味方した。そのため花ケ前盛貞・家盛父子は、
古文書を携えて能登国へ逃亡した。のち、越中国宮津
八幡宮(魚津市)に身を潜めた。慶長3年(1598)、景勝
が会津へ、兼継が米沢へ移って、晴れて帰国することが
できた。

 居多神社の祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)・
奴奈川姫(ぬながわひめ)・建御名方命(たけみなかた
のみこと)である。出雲の大国主命が奴奈川姫という絶世
の美女と結婚したいと、越後国に駆けてきた。二人はめで
たく結ばれ、建御名方命が誕生した。

 大国主命は稲作伝播であり、奴奈川姫は美しいヒスイで
ある。二人のお子さんが建御名方命(長野県諏訪大社)で
ある。この歴史を考えると、居多神社は上越の地に鎮座し
ていなければならない。もし景勝に味方していれば、今日
米沢に鎮座ということになる。それでは「古事記」の記事
に反する。
 
 居多神社が越後文化の夜明けであったことを考えると、
宮司花ケ前家の判断は極めて正しかったと私は考える。

 居多神社は古代、国司の奉幣・神拝を受けた。越後国府
に鎮座していたことから、一国を代表する神社として越後
で最初に神階を賜り、越後一の宮として信仰されることに
なったのである。』

 居多神社についてあまりよく知らなかったので、興味深い
記事でした。こういうことを知っていると、今後の「天地人」
がもっとおもしろくなるかもしれません。

 文の終わりに(越後一の宮居多神社宮司)と記載されて
いました。花ケ前さんの自信と誇りが溢れている文章だなぁ
と思いました。  

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居多神社の宮司 | 後世へ、いつまでも